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子育てよもやま話

あすはきっと

今日は下の子の幼稚園の運動会だった。

コロナ禍で本来の姿の運動会が行われなくなって2年目。

本来なら全学年が一堂に会して、保護者も、両親だけではなく祖父母も招いて行われる運動会。
コロナになってからはすっかり姿を変えてしまった。

各学年毎の開催。
保護者は2名のみ。

子どもたちに罪はないし、一生懸命やっているのだけれど、元々の運動会を知っているだけに物足りなく感じてしまって。。。

開催されるだけでありがたいのに、なんて罪深き欲の深さよ。。

なぜそんなふうに思うのかというと、下の子の通う幼稚園は子どもたちの自主性をすごく大事にしていて、普通運動会を開催するかしないか、なんて最初から決まっていて何の疑いもなく毎年ある行事なんだと思うけれど、この幼稚園ではまず運動会を開催するかどうかから子どもたちが決める。

もちろん開催されなかったことはないのだから、子どもたちが運動会をしたい!!と思わせる経験をさせてくれているのだけれど、毎年毎年必ず聞くのだ。

今年運動会する〜?

と。

また、年齢毎の育ちをすごく大事にしていて、年少さんの育ち、年中さんの育ち、年長さんの育ち、を運動会で観覧する保護者が感じられるような内容の運動会だ。
そして、子どもたち自身も、年少・年中の自分には出来ない競技やらを毎日の園庭で目にすることで、年長さんに強く憧れ、また自分たちも出来ないなりに園庭で年長さんに教えてもらいながら取り組んだりする。

上の子が卒園しているので、その年少さんから年長さんまでの成長の凄さは見ているのだけれど、学年毎の開催になった都合で、全学年の全演目を保護者が見る機会が無くなってしまった。
もちろん学年毎の運動会のプログラムには、全ての学年の種目を見られるようそれぞれの学年が客演で参加はしてくれるのだけれど、本来運動会が開催される場合の全演目ではない。
全演目見られるのはあくまでその日の運動会の学年の分だけなのだ。
そして運動会といえばのみんなでお弁当を食べるというお楽しみも、午前で終了するように変更になっているため無い。

だからどうしても、楽しみだけれど頭の中から消えないのだ。

”言うていつもの運動会とは違うしな” と。

でも、今日の運動会で自分の考えがいかに自分勝手な幼稚なものかを思い知らされた。

我が家には上の子が幼稚園に通っているときから仲良くしてもらっている家族がいる。
元々は子ども同士が仲良くなったのがきっかけなのだけれど、ありがたいことに親同士も意気投合し、今でもとても仲良くしてもらっており家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっている。

そしてそのおうちの下の子もまた同じ幼稚園に通っているのだけれど、今日、うちの子の運動会に客演としてダンスとリレーで参加してくれた。

今日を迎えるまでにその子には、今日はうちの子の運動会だからパパとママは来ないから、今日は写真やらは私が撮るからちゃんとこっちみるんやで〜と言っていたのだけれど。

年長さんの出番がある前に、グラウンド袖にスタンバイするのだけど、その時点からぴょんぴょん跳ねながら手を振ってくれる。
出番が始まった後も、こちら側を向いて手を振ってくれる。
正面を向くと私たち夫婦は背中側になるのに、チラッチラッと振り返ってこちらを見る。

そして全身を使って一生懸命ダンスをするのだ。

この子は年少さんの時、ダンスでは全く踊らず、緊張からか固まってしまって表情もこわばって・・・という子だったのだけれど、昨日のそれは、自分が頑張っているところを見てもらいたい。出来るようになったところ、一生懸命可愛く踊っているところを見て欲しい、っていうのが全身から溢れ出ているようで(本人は全くそんなの思ってないかもやけれど)、ダンスが始まってからずっと写真を撮っていたのだけれど、途中からは私もその子の動きに合わせて一緒に踊ってしまうような、声を出して良かったのなら、かわいいよ!素敵やで!とずっと声をかけ続けたくなるような、そんな一生懸命な素敵なダンスだった。
周りの誰もが年長さんの子がいるご家庭では無いから、年長さんってすごいねーという感じで暖かな目線で見ておられる中、一人号泣・・・

ダンスが終わったあと、司会進行の先生からの感想があるのだけれど、先生も号泣。
年少さんの時には出来なかったことが、こんなふうに立派にできる姿を見せてくれて、というような、私が感じたそのままを言葉にしてくださった。

我が子も年少さんの時は自分が踊りたい部分しか踊らず、それ以外は突っ立っているだけだったのに、今年はダンスの全部のパートを踊りきっていた。
上の子は幼稚園大好きマンだったが、下の子は幼稚園行きたく無いマンなので、本人なりに色々葛藤があっただろう中で、たった一年でこんなにも幼稚園を楽しみ、運動会を楽しめるようになったのか、と、コロナ禍の一年はまるで失われたように思ってしまいがちだけれど、確実に得たものもある一年だなぁと思った。

あすはきっと

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そとは くらいのかな?
うん、いまは よる!
こどもたちは どこかな?
こどもたちは ベッドのなか。
「おやすみ」といって、目をとじる じかん。

目をさまして 「おはよう」っていうと、
もう そのときが、あす。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

というフレーズから始まる、【あすはきっと】という絵本。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あすは いっぱい できるよ、
きょう できなかったことも。

あすは きっと、
なにかを すっかり じぶんだけで
やれるようになる。

あすは、なにからなにまで、
ずっときょうよりよくなるよ。

(本文より抜粋)

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今日がイマイチな日でも【あすはきっと】素敵な一日が待っているよ、という気持ちにさせてくれるこの絵本。

今日、運動会で見た子どもたちの姿はまさにこの通りなんだろう。
毎日明日が来るたびに、いろんなことを体験したり、悲しい思いをしたり。
そうやっていろんなことが出来るようになりながら大きくなっていくんだろう。

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さぁ きみの きょうという日と、あすという日のために、
キスを いっぱい あげよう。

ぜんぶ きみのために!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

毎日ガミガミダラダラ残念母だけれど、今日は本当にいい一日だった。
子どもたち、本当にありがとう。

あすきっと残念母だろうけど。

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ABOUT ME
残念母
ズボラでなまけもの、口癖はめんどくさいの残念母です。 このままではいかん!と、学生時代から憧れの英語を勉強をはじめ、TOEIC300点台から、先日第一目標のTOEIC750を達成できました。 学歴も記憶力もない残念母です。